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旅の途中

水平線の もっと向こうへ

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2002.11.4 昆明→上海行きの列車にて
2002.11.4

いま昆明発上海行きの列車に揺られながら、今回の1ヶ月に渡る旅を回想している。
今回の旅は3回目の海外への旅になるが、過去の2回の旅に比べると、さして目的もなく、
強いて目的をあげるとするなら「のんびりする」といったところだろうか。
ただ、そんなのんびりとした時間の流れの中でも日々接していた日本人バックパッカーと
自分を対比してしまう事がよくあった。
例えば「地球の歩き方」や中国語のできる日本人に頼りすぎて、自分ひとりでは行動を
起こせなくなっている日本人。
僕は地球の歩き方にもロンリープラネットにも載っていないネイティブの言葉しか
通じないところにしか行った事がなかったので、情報を自分で集め行動を自ら決定し、
全てを自分で判断しなければいけなかった。
例えば、シャワーが自分の部屋に無く、となりの建物にあってめんどうくさいから
もっといい宿に変えるという日本人。
僕は電気も水も無い所を旅していたので川で水浴びをしていた。
沙漠にいた時はタオルで体を拭いていた。
例えば、長い時間列車に乗って、変な人民と一緒になったら最悪だという日本人。
僕はいまその人の嫌いな列車に乗って55時間、昆明から上海まで揺られてゆく。
隣り合った漢族のおじさんと筆談をして、とても楽しい時間を過ごした。
ちなみに日本人バックパッカーが中国人を「人民」と呼ぶとき、往々にして
蔑視の感情が含まれている。とても悲しい事だと思う。
自らが人との出会いを拒絶していては、新しい出会いなど生まれるはずもない。

旅はとてもシンプルだ。
仕事に追われる日常も身分も世間体も日本にとりあえず全部置いてきた。
旅先では身分も年齢も名前すらも偽ることができる。
でもいくら素性を偽ってもふだんの何気ない仕草や言葉でその人が見えることがある。
その人の旅を見ているとその人自身が見えてくる。
そんなふうに考えると、人の旅のしかたに対して、僕なんかがどうこう言うのは間違っているのかもしれない。
だってその人の旅は、その人自身のものなのだから。

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