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旅の途中

水平線の もっと向こうへ

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居合いの剣
僕は実際の年齢よりも下に見られる事が多い。

具体的にいうと五つぐらい年下の年齢の人間にもタメグチをきかれることが、ままある。

これは僕なりの処世術というか、
強い権力と戦うための基本的な姿勢が日常に現れたものだと考えている。

上から見下ろす視点と下から見上げる視点は、
当然の事ながらその視点を異にする。

筑紫哲也が阪神淡路大震災発生当日に神戸上空から行った

「神戸がまるで温泉街のようです」

という名物リポートは、
上から下を見下ろす視点を端的に表した良質な例である。
氏には逸見政孝よりも鳥越俊太郎よりも、
もっと深い苦しみや痛みが与えるられるべきだろう。

そうすればあの震災によって瞬時に立ち現れた温泉街の、
阿鼻叫喚の血の池で家族の名前を叫びながら茹だっていった無告の民の真実に、
より即したリポートが出来るに違いない。

以前が僕が馬頭琴を肌身はなさず携帯している様を、
「まるで武士が真剣を帯剣しているようだ」
と比喩したした人がいたが、
一時期の僕の馬頭琴の携帯率は、携帯電話の携帯率よりも高かった。

ただ僕の中での馬頭琴のカテゴライズは、
真剣というよりも、むしろ居合いの剣だ。

居合いの剣は、いつ何時でも即座に抜けなければならない。
そのためには、常に自らに気を充溢しておく必要がある。

ただし強い権力と相対する瞬間には務めて平然と振る舞う。
この場合、毅然とした態度で立ち向かうのもひとつのやり方ではあるが、
僕の場合は心持ち一段下に構える。
そうして相手にそこに弱みがあると思い込ませ、
相手の剣の本質を見切る。
強みと弱みは、紙一重なのだ。

ハタチ前後のさすらいの日々の道中の人に、こう云われた。

「同じ年代で、同じレベルで真剣に話しのできる人はいる?」

「君の精神的な実年齢は、30歳を越えているね」

前者は、とある革新的なフリースクールの教師。
後者は、とある有名な医師。

肉体的な実年齢が30歳を越えてしまった現在。
自分がもういったい何歳なのかわからなくなってしまったというのが、
僕の密やかな悩みといえば悩みだ。
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