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「沖縄ブーム」をGoogleで検索した。
現在のところ以前gooブログで著した「スローライフ、沖縄ブーム」のカテゴリーが、リクルート、読売新聞、オリコンのプロパガンダと八重山毎日新聞、沖縄タイムスの論説に挟まれた所に位置している。
一個人の発信するブログとしては、それなりに健闘しているといったところだろうか。
当初はリアルタイムでスローライフや沖縄ブームの動向を探り、独自の理論を展開することを考えていた。
しかし、現状ではそれらに対する興味はほとんど失ってしまったというのが本音だ。
沖縄移住をテーマにした雑誌やテレビに登場している人物に近づき、紙面や画面に現れるものと実像の違いに迫ろうとした時期があったのだが、志半ばで頓挫した。
多くの場合それらはつくりあげられた虚像であり、その裏には深い影が潜んでいると感じたからだ。
実際に自らがマスメディアのオファーを受ける事も度々あったのだが、
興味がなかった。
戦後の日本社会の現象をスローライフや沖縄ブームに絡めながら自論を展開したのだが、実のところそれと同時に近未来も予測していた。
現在のスローライフ及び沖縄ブームの概念の疲労困憊と衰退の風潮には目を見張るものがあるがそれらはかつて予測した範囲内にすぎないというのが本音だ。
「沖縄ブームが落ちついたのは観光の主眼が他の地域に移ったからで、いつかまた盛り返すだろう」だとか、「サブプライムローンの影響によるものだ」という意見もあるようだが、百歩譲ってそれらを正論であると仮定した場合、両者の間には矛盾が生じはしないだろうか。
いずれの意見にも表層をなぞっただけの稚拙さを感じずにはいられない。本質はもっともっと深いところで脈打っているのだ。
ただひとつ言えるならば、ともすれば過去記事は忘れられゆく傾向の強いブログというツールを用いて、長年の風雪に耐え強大なる資本に拮抗しうる理論を構築できたという事だろう。PR -
ハブが来た。
月を見ようと2階のロフトに上がったら、
オレのお気に入りのMA-1(中1から着てます。けっこう物持ちいいです)に絡まってうねうねしていた。
引っ越しした家は距離的には市街地に近いんだがほとんど原野の中にあるで、野生の動植物には事欠かない。
野菜は自給自足どころか、ひとりでは食いきれないので友達にあげたりしてるが、それでも間に合わないという贅沢な悩みを抱えている状況だ。
冷蔵庫には、野菜はひとつも入っていない。
買う必要がないからだ。
ここに住み続ける限りは、その様な状況が続くに違いない。
もちろん、ハブも含めて。 -
僕は実際の年齢よりも下に見られる事が多い。
具体的にいうと五つぐらい年下の年齢の人間にもタメグチをきかれることが、ままある。
これは僕なりの処世術というか、
強い権力と戦うための基本的な姿勢が日常に現れたものだと考えている。
上から見下ろす視点と下から見上げる視点は、
当然の事ながらその視点を異にする。
筑紫哲也が阪神淡路大震災発生当日に神戸上空から行った
「神戸がまるで温泉街のようです」
という名物リポートは、
上から下を見下ろす視点を端的に表した良質な例である。
氏には逸見政孝よりも鳥越俊太郎よりも、
もっと深い苦しみや痛みが与えるられるべきだろう。
そうすればあの震災によって瞬時に立ち現れた温泉街の、
阿鼻叫喚の血の池で家族の名前を叫びながら茹だっていった無告の民の真実に、
より即したリポートが出来るに違いない。
以前が僕が馬頭琴を肌身はなさず携帯している様を、
「まるで武士が真剣を帯剣しているようだ」
と比喩したした人がいたが、
一時期の僕の馬頭琴の携帯率は、携帯電話の携帯率よりも高かった。
ただ僕の中での馬頭琴のカテゴライズは、
真剣というよりも、むしろ居合いの剣だ。
居合いの剣は、いつ何時でも即座に抜けなければならない。
そのためには、常に自らに気を充溢しておく必要がある。
ただし強い権力と相対する瞬間には務めて平然と振る舞う。
この場合、毅然とした態度で立ち向かうのもひとつのやり方ではあるが、
僕の場合は心持ち一段下に構える。
そうして相手にそこに弱みがあると思い込ませ、
相手の剣の本質を見切る。
強みと弱みは、紙一重なのだ。
ハタチ前後のさすらいの日々の道中の人に、こう云われた。
「同じ年代で、同じレベルで真剣に話しのできる人はいる?」
「君の精神的な実年齢は、30歳を越えているね」
前者は、とある革新的なフリースクールの教師。
後者は、とある有名な医師。
肉体的な実年齢が30歳を越えてしまった現在。
自分がもういったい何歳なのかわからなくなってしまったというのが、
僕の密やかな悩みといえば悩みだ。 -
内モンゴルの砂漠の牧民の家には一カ月程お世話になっていたのだが、
その間はネイティブの言葉、つまりモンゴル語で過ごした。
内モンゴル自治区は中国領内に属するので公用語には北京語が用いられていたが、
内モンゴルの、ことに外蒙古との国境線に近いゴビ砂漠の南端部に暮らす人々の言葉は、
沖縄の人々がしゃべるウチナーグチとヤマトゥーグチがチャンプルーされた感じに似ているように思う。
つまりモンゴル語と北京語の語彙が掛け合わされているのだ。
さらに寒冷地特有の北海道や東北の方言にも似た訛りがくわわり、独特の響きをもった言葉となる。
ちなみに沖縄本島と八重山は直線距離にして450キロほども離れており、
言葉にもそれぞれの個性がある。
以前、沖縄県の広さを体感させるために日本地図上に色違いで沖縄県をあらわした地図を見る機会があったのだが、
沖縄本島と八重山は関東と関西ほども離れていて、たいへん興味深かったのを思い出した。
僕がお世話になった家族の主は内モンゴルの著名な詩人で、いにしえより続く伝統を重んじていて、会話の中に北京語の単語すら混じる事が殆どなかった。
たとえば、電話がかかってくると、ふつうの内モンゴル人は「デンホゥアァー!」と北京語の角がとれて丸くなった言葉を用いて電話がかかってきたのを皆に知らせるのに対し、
その家族は電話がかかってくると「オッタス!」と言っていた。
後日日本に帰国して内モンゴル人の留学生と呑んでいた時に携帯電話に着信があり、
条件反射で「オッタス」と言って電話を受けた。
電話を切ったあと留学生が驚いた顔で、
「なぜ日本人のあなたが、オッタスという言葉を知っているのですか」
と質問してきた。
「オッタス」は、それだけローカルな内モンゴルの方言のようだ。 -
昨日はFM放送をブログのネタにしたこともあり、しばらくの間FMをかけながら微睡んでいた。
神戸に住んでいたころは受信できる放送局が多く、
お気に入りの番組を楽しみながら酒を呑むのが、ささやかな楽しみだった。
そんな事をふと思い出していたら、
聴いていた番組のゲストミュージシャンが、
こんなことをのたまい始めた。
「CDというフォーマットは、もう古いもの。
今後は楽曲をネットで配信してアルバムをつくらないと公言しているアーティストもいる。
一年に一枚アルバムをつてアナログ盤を発売するのが理想だけど、時代のニーズに適応性がない」
一字一句の正確さはないけれど、まあ大意はそんなようなものだった。
どうやら時代は、日進月歩の進化だか退化だかに余念がなく、
石垣島の山猿になってしまった僕にとっては、
そんなお話は、もはや四次元の世界。
閑話休題。
ついさきほどまで引っ越しの荷物を紐解いていたのだが、
そのなかに星新一の「ボッコちゃん」の文庫本があって懐かしい気持ちになった。
星新一を読み始めたのは中学生だったから、かれこれ二十年の付き合いになるだろうか。
文庫の付記に眼が留まる。
「私は各作品のみならず、短編集にもそれぞれ愛着を持っているのです。
その一方、この「ボッコちゃん」の作品配列も崩したくないという、複雑な心境です」
某ミュージシャンよりも星新一のほうが、自らの作品を愛しているように思えた。
曲紹介の後に流れ出した某ミュージシャンの曲はイントロだけ聞いて、
すぐに消してしまった。
いかにもこの時代を象徴するような、
メロもサビもソロもイントロだけで見切れてしまうライトな楽曲の構成。
僕には最後までハラハラさせながら
劇的な展開で終わりを迎える星新一の作品のほうが、
性に合っている。 -
あのー、昨日桑田佳祐の石垣島LlVEが全国の民放FMで放送されたらしいんですけど、
それって石垣で放送されてるんでしょうか?
たしか石垣ってNHK-FM以外は、沖縄ローカルのAMをFMに変換したのんと、
八重山ローカルのコミュニティーFMしか流れてないはず。
桑田は、客寄せのピエロですか?
ふうん。
じゃあ、島の人たちは?
ちなみにオレは島田紳助の店の近所に住んでましたが、
いちども足を踏み入れたことがありません。
鬼門ですから。
ついでに懺悔します。
マルチ・パンサーちゃうわ、
マ〇ク・バンサーの家には、間違って行っちまった事はあります。
家を探して、道らしい道や道なき道をこれでもかいうくらい走ったもんやさかい。
ていうか、なんやねん。あのダートは。。
舗装せえよ。
ようさん稼ぎよるくせに。
離島桟橋の店の客に笑われるでぇ。
ほんま。 -
今日の昼食は芸人風味のパスタで、
食後のドリンクは、自家製のレモングラスでした。
沖縄県産の生三枚肉(豚バラ肉)を岩塩とハーブで漬けたものにパパイヤを載せ
(パパイヤには、肉を柔らかくする分解酵素が含まれています)
一週間寝かせたのちに、囲炉裏で流木と月桃(よい香りがします)で一昼夜燻しました。
ベーコンを焦がさない程度にじっくり弱火で炒めながら、
摘みたてのバジリコの香りをオリーブオイルに移し、
ソーミンもとい、スパゲッティーニに茹で湯を少し足して乳化させたオイルソースをチャンプルーしまして、
ハイ召し上がれです。
ちなみに今日の夕食は、八重山風味のウルトラQじゃない、バーベキューです。
「あのよー、呑むからよー、カブ号は置いて泊まってけなー」
というお達しがありました。
アイアイサー!
間違いは致しませぬよ。
なにせわたくしは程なくしてゴールドカードを獲得する身ゆえ。
酔っ払って赤信号の交差点に、
マタドールに噛みつくが如く突っ込んで行った若気の至りなぞ、
過ぎ去りし二十世紀の、
遠い遠い、光芒。 -
昨日の八重山毎日新聞の一面は、
石垣島北部に光通信網が開通したという記事だった。
安直に「げにめでたし」と言うわけにはいかないけれど、
とりあえずはおめでとうございます。
光と影の因果関係については、長くなりそうなので、
また別の機会に論じてみようと思う。
石垣島北部から、少しだけ市街地に近い所に引っ越しをした。 -
映画が好きだ。
数えてはいないけれど、ジャンルは問わず手当たり次第に数百本は観ている。
もし、今まで観てきた映画の中で無人島に一本だけ映画を持っていけるなら何を選ぶかと問われたら、
間違いなく「七人の侍」を選ぶだろう。
ホンマに無人島に行く事になったら、「幸せの黄色いハンカチ」と迷うかもしれないけど。
その島に果たして電気があるかどうかは謎だが、
自転車のダイナモを改造して、無人島仕様にして持って行くつもりだ。 -
先程ハブがいきなり天井から落っこちてきて、牙を剥かれたので、かなづちで叩き殺してしまいました。
むやみな殺生はいけない事だとは思うのですが、以前足首を咬まれて、膝までぼっこり腫れたものですから、つい、、、。
地元北海道の友達と電話している最中の出来事でした。
北海道は灯油の値上がりで大変という話を聞いていたら、こちら石垣島の僕の家はハブで大変というオチがついた夜でした。
オチ言うたらハブさんに失礼やな。
えらいすんません。