"随想"カテゴリーの記事一覧
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1998年7月18日
モンゴル・ホブド・エルデネさんのおうちにて記す
神戸から中国の天津までのフェリーで同室だった日本人のおじさんと19才のスイス人の旅人マーカスと一緒にフェリーのレストランで食事をしていた時に、おじさんはマーカスに対してこんな事を言った。
「キリスト教は人間だけの、自分だけの救いを求める宗教だ。それに対して日本の宗教は自然を大事にする宗教だ。だから、日本の宗教は世界で一番素晴らしいんだよ。」PR -
2002.11.4
いま昆明発上海行きの列車に揺られながら、今回の1ヶ月に渡る旅を回想している。
今回の旅は3回目の海外への旅になるが、過去の2回の旅に比べると、さして目的もなく、
強いて目的をあげるとするなら「のんびりする」といったところだろうか。
ただ、そんなのんびりとした時間の流れの中でも日々接していた日本人バックパッカーと
自分を対比してしまう事がよくあった。
例えば「地球の歩き方」や中国語のできる日本人に頼りすぎて、自分ひとりでは行動を
起こせなくなっている日本人。 -
内モンゴルの砂漠の牧民の家には一カ月程お世話になっていたのだが、
その間はネイティブの言葉、つまりモンゴル語で過ごした。
内モンゴル自治区は中国領内に属するので公用語には北京語が用いられていたが、
内モンゴルの、ことに外蒙古との国境線に近いゴビ砂漠の南端部に暮らす人々の言葉は、
沖縄の人々がしゃべるウチナーグチとヤマトゥーグチがチャンプルーされた感じに似ているように思う。
つまりモンゴル語と北京語の語彙が掛け合わされているのだ。
さらに寒冷地特有の北海道や東北の方言にも似た訛りがくわわり、独特の響きをもった言葉となる。
ちなみに沖縄本島と八重山は直線距離にして450キロほども離れており、
言葉にもそれぞれの個性がある。
以前、沖縄県の広さを体感させるために日本地図上に色違いで沖縄県をあらわした地図を見る機会があったのだが、
沖縄本島と八重山は関東と関西ほども離れていて、たいへん興味深かったのを思い出した。
僕がお世話になった家族の主は内モンゴルの著名な詩人で、いにしえより続く伝統を重んじていて、会話の中に北京語の単語すら混じる事が殆どなかった。
たとえば、電話がかかってくると、ふつうの内モンゴル人は「デンホゥアァー!」と北京語の角がとれて丸くなった言葉を用いて電話がかかってきたのを皆に知らせるのに対し、
その家族は電話がかかってくると「オッタス!」と言っていた。
後日日本に帰国して内モンゴル人の留学生と呑んでいた時に携帯電話に着信があり、
条件反射で「オッタス」と言って電話を受けた。
電話を切ったあと留学生が驚いた顔で、
「なぜ日本人のあなたが、オッタスという言葉を知っているのですか」
と質問してきた。
「オッタス」は、それだけローカルな内モンゴルの方言のようだ。 -
このごろ「私はここでは自分を出していない」とか「これがほんとうの自分ではない」という類いの言葉をひんぱんに耳にする。
これだけ耳にする機会が多いのだから、ひょっとしてそれらの言葉はこの夏の流行語なのかと思いつつ。 -
じつは、僕はアレルギー性の喘息持ちなのだ。
ちょうど11年前、僕は阪神淡路大震災のボランティアで神戸の隣の芦屋に1ヶ月滞在した。そのときにいろいろと無理をしてしまって風邪をこじらせて肺炎になりかけてしまった。