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旅の途中

水平線の もっと向こうへ

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「十年ひと昔」と言うけれど
じつは、僕はアレルギー性の喘息持ちなのだ。

ちょうど11年前、僕は阪神淡路大震災のボランティアで神戸の隣の芦屋に1ヶ月滞在した。そのときにいろいろと無理をしてしまって風邪をこじらせて肺炎になりかけてしまった。
地元に帰って病院に行きレントゲン写真を撮ったら肺の一部の色が変色していたけれど、「芦屋に残る」の一点張りだった僕の体調を気遣って諭してくれた友達の温情のおかげで大事には至らなかった。
そんなこんながあってアレルギー性の喘息を患ってしまったと、まぁそういうわけなのだ。
ちょうど4年前のいまごろ、僕はモンゴルの沙漠にいたんだけれど、気温がマイナス30度で極端に湿度の低い沙漠の環境は喘息持ちにはたいへんなのだ。
でも僕はどうしてもモンゴルの沙漠に行きたかったので、喘息持ちのうたうたいの先輩に腕利きの呼吸器の医院を紹介して頂き徹底的に診てもらった。
そのとき処方してもらった薬はかなり効果があり、沙漠の過酷な環境でも咳に悩まされることはなかった。
ただその薬は、服用のしかたが粉薬を吸入器で口から吸い込んで肺に溜めしばらく呼吸を止めたのちに息を吐くというガンジャ(大麻)を吸うやりかたと同じだったので、こわくて沙漠から帰ってきてからはほとんど使っていない。

今日3月15日は、11年前に僕が芦屋を去った日だ。
芦屋から去った数日後、オウムが世間を震撼させた。
おもえばあのころ、時代は動いていた。
僕は19歳だった。
あの時代の渦中に多感な青春時代を過ごしたことが、
現在の僕の生き方の礎になっているのだろうなぁ、と11年前のじぶんを回想してみたりする。

11年という時を経てやっと理解できることもあるものだ。
走り続けている瞬間は無我夢中で、いちいち理由なんて考えていなかったのだから。
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